「まちライブラリー」から考える、ファンドレイジング
昨日 2018/01/05 のお昼休みに、たまたま聴いていたラジオで礒井純充氏がお話をされていた。
・・・外部からの受動的な情報を一旦遮断し、自身と向き合ってじっくり考える時間に充てており、Facebook、テレビ、ラジオ、他、半年ほど間合いを取ってみているが、新年を迎えて徐々に限定的なインプットを再開した矢先・・・。座右の銘「動けば、必ず、繋がる」の言葉どおり、たまたまラジオをつけた瞬間、これがまた重大な衝撃となってしまった・・・。
◆新春ふるさとインタビュー『礒井純充さん』 (※2018/01/12(金) 15:00 配信終了)
全くお恥ずかしい話なのだが、私は「まちライブラリー」を知らなかった。
鳥取県にも、東部に4箇所あることも、初めて認識した。
無論、市立図書館と鳥取駅構内に設置されている本棚は認識していたが、それが「まちライブラリー」の取り組みであったことを知らなかった。
今、ふと、何年か前にラジオで聴いた、全国的なニュースで取り上げられていたイベントでの私設図書館系のコンテストの話を思い出した。それはたぶん、まちライブラリーに関連していたものと思われる・・・。
礒井氏のラジオでのお話の中で、私がこの場で取り上げたい観点でのサマライズは、以下の様なポイントである。
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・目的・お金がないと、「集まれる場所」というのは少なくなった。「まちライブラリー」は、「気軽に井戸端会議」という場をすぐに作ることが出来る。
・どんなに成果を挙げても結局は属している組織のものとなり、それは本当の意味での「自分の作品」には出来ないと感じた。どんなに小さくてもライフワークとして取り組めば、それは自分の身となり、生涯付き合って行けるものとなる。
・立ち位置を「半歩」ずらして、自分ができることで、身近な誰かの役に立つことが無いかを考える。
・自分の収益にならないことを一度やってみて、気付くことがある。
・自分の使える範囲の資源を、創意工夫して活用する。
・いろんな考え方を持った人がいる、ということに気付く。
・個人の身近な小さな目標を達成しようとする取り組みの周りに、応援団が付いてくる。その結果として地域のコミュニティが生まれている。
・大上段に構えて「地域のコミュニティに役立てたい」といった大目標が無い方が、上手く行っていることが多い。
・本は、「想い」を持って書かれており、しかしその「受け取り方」は各々違うものである。その考え方の違いも含めて、本は、自分だけでは経験できないものを与えてくれる宝箱である。
・「大きな組織でないと・資金がないと、自分なんかでは何も出来ない」ということでは決してなく、小さくてもやれば、必ず応援してくれる人は現れる。その小さな行為が、ゆくゆくの大きな変化のきっかけになる。
・実は孤独なのではなく、同じ「想い」を持っている人が身近に必ず居る。「まちライブラリー」は、その人たちと繋がるきっかけとなる1つのツールになり得る。
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礒井氏の20分余のお話。
非常におこがましいのだが率直に、私がこれからここで整理して書きまとめて行きたいと考えている/考えるであろう事項が、てんこ盛りかつ凝縮されていた。
日々、実践されて洗練されている方は、限り有る時間の中で、音声だけで、この様にまとめて伝えることができるのだなと衝撃を受けた。
概念として、二軸は、<縦>「大組織:個人」と、<横>「身近な小さな目標:遠大な大きな目標」である。
これをポジショニングマップ状に記してみると面白いと思うが(追ってやってみる)、左下隅の「個人かつ身近な小さな目標」の点に「まちライブラリー」を掛け合わせると、派生して行くであろう取り組みが右上の方へ面として遷移して行くイメージが頭に浮かぶ。
礒井氏が「まちライブラリー」のご経験を通して得られている実感は、上記の「左下」の方から始まるケースの方が、「左上」の方から始まるよりも、活動が成立する場合が多い、ということである。
私ごときの推察であるが、「個人が半歩踏み出してみる取り組みにおいて、遠大な構想を語るよりも、親近感のある身近な小さな目標の方が、『共感』を得やすい → 活動が続きやすい」という事なのではないかと思う。
「そこまでの事はできっこない。先が見えなくて、ずっと付いていくのもしんどい」よりも、「その気持分かるわあ。手伝える範囲で良ければ私もまぜて」という事なのかな、と思う。
実際、自分がその立場になればそう思うだろうな、と想像できる。
更に「ファンドレイジング」の切り口で考えて行くと、大前提として、
・可能な範囲で小さく始める。 → 資金ゼロでも開始する
・身の回りの資源を創意工夫して活用する。 → 無理な調達はしない
・本を寄贈してもらう。 → モノの寄付がベース
なのであり、端的に言えば、「ファンドレイズ(資金調達)しなくても成立する範囲のことを進めてみる」という事になる。
では、組織づくりとその戦略的運営について考えてみると、
・「まちライブラリー」が、個人の目標をヒアリングしてアドバイスする。
・「まちライブラリー」が、本棚が無ければ作るなど、開始を手伝う。
・「まちライブラリー」が、運営を続けられるように紹介やイベントや交流の機会を提供している。
という事なので、営利組織で言う所のビジネスモデルとそのバリューチェーンが、仕組みとして成熟し始めている、という事を意味する。
それは、「まちライブラリー」が、十人十色の大なり小なりの目標に対して汎用的に取り入れられて、全国何百箇所、国外にも拠点が出来始めている実状が、如実に証明している。
つまり、「まちライブラリー」は、それ自体が目的であるという枠は超えていて、「まちライブラリー」という仕組みを活用して、各自が叶えたい思いを具現化し始めている、という事になる。
この側面で考えて行くと、あらゆる小さな思いや目標に対する手段として「掛け合わせて考えてみること」が可能であるということであり、
Σ「小さな思い・目標」 ✕ 「まちライブラリー」 =
「望んでいる小さな成果」→「様々な人の思いも巻き込んだ総合的な成果」
が、汎用的に成立する可能性を秘めていることになる。
今、礒井氏の本の帯を見たが、「<人✕本>の場づくりには無限の可能性がある」と記されていた。そのとおりだと思わざるを得ない。
「本」という媒体のもつ特性が、それを成立させる適材であったという事が、改めて客観的に考えるとある種の驚きと言えるのだが、それが唯一無二ではないとも思うのだが、ここまで 敷居の低い/制約のゆるい ものがどれだけ有るだろうか・・・。
繰り返しになるが、ある種の社会問題の解決方法として、既に体系化されている、と言えてしまえる可能性を感じる。
以上までを踏まえてステークホルダーを整理し、再度ファンドレイジングについて考察してみると、能動的なファンドレイジングが必要なのは、その仕組みを支える「まちライブラリー」の運営組織だということが分かる。
この部分については、安易な想像のみで語ることは控えて、いつの日か(たぶん今年の 5/13 にしてしまうのかな)、礒井氏に突撃インタビューしてみたい!
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私も実際、私の出来る範囲において、「半歩」を踏み出して 「小さく」活動を進めてみているので、実感として分かる。
営利組織で体得してきているマネジメント技術を、非営利組織に応用できるのではないか。そのための +α として、「共感マネジメント」も体得する事を含めた「ファンドレイジング」は必須の技術である、との確信を土台としての、「半歩」である。
深く考えさせられるのは、「遠大な大きな目標」を支えとしなければ、「何のために手元のこれをやっているのか見失ってしまう」というある種の「恐怖」にも似た感覚について、あるべき将来像から現時点までを何ステップかに分割して、目先の「小さな目標」を設定している方法論に対する、「まちライブラリー」の考え方との対比である。
私の現在の考え方・方法論で特に支障がある訳ではないし、これでなければならないという正解もないので、取り組みへの姿勢をドラスティックに変える訳では無いのだが、他方の考え方を「それでいいのだ」とは思えていなかったのが正直なところであったため、である。
今、「無欲の勝利」という言葉も、頭をよぎった。
「あたまでっかち 」では、到底、無理だ・・・。
2018/05/13、大阪府立大学でサミット。予定に組み込む・・・。
昨日のお昼休みに聴いた直後に、速攻、Amazon でポチった。
それが届く前に、今日 2018/01/06、図書館に寄ったので、借りてしまった。
もちろんついでに、娘向けに「まちライブラリー」も初使用。笑
つづく・・・。
ところで、「ファンドレイザー」って、なに?!
「ファンドレイジング」とは・・・
「ファンド」と付くので、何か、ファイナンシャル・プランニングなどと混同しそうなんだけど、そうではなくて、一般に下記リンク先のように説明されている事を指す。
(※協会のトップページでは、ずっと下のフッター直前に説明がある。)
・・・、非営利活動を行うための資金って、どうやって調達するのか・・・。
私も地域の伝統芸能(因幡の麒麟獅子舞)を保存する活動に実際に携わるようになって数ヶ月が経った頃から、はたとその事を考えるに至り、どうにもモヤモヤした気分になったのが 2016年の夏頃。
その時は未だ、「ファンドレイジング」という意味はおろか、その言葉自体も全く知らない状態だった。
前述のリンク先に説明されているように、狭義には「非営利活動のための資金調達」そのものを指すが、広義には「非営利活動における、資金獲得も含めた戦略的な運営のための組織マネジメント」という所までスコープが広がるものと理解している。
つまり、単に「資金調達」という部分のみを抜き出して対処すれば意図する資金を調達することが出来る、などという単純なものではなく、その団体・組織の意義や理念に基づく活動そのものが、資金を獲得できるかどうかの前提・背景としてありますよ、という事だ。
非営利活動が 営利活動と異なるのは、非営利活動が創出する「価値」とは、「対価」を支払う人へ必ずしも直接的に渡らない(受益者ではない)、という所にある。
例えば、「ゴミを拾って駅前を綺麗にする活動を行う団体」を支援する人を考えると、駅前は自分の家の敷地でもなければ、駅前へ週に1回行くか行かないか、という人も居るかも知れない。
ただ支援者は、「そういう活動って、やっぱり、大切だよね。必要だよね。」という「共感」をしているからこそ、活動に参加したり、その団体に寄付をしたり、となるのだと思う。
そう、「共感」という状態を生む事が出来ないと、資金の獲得って言っても、誰も見向きもしてくれないという事になる可能性が極めて高いと考えられる。
その「共感」を生む仕掛けは、組織づくりから始まり、その事業戦略に盛り込まれ、果たして「資金をどうやって調達するのか」という話へと進む訳だ。
つまるところ「ファンドレイジング」とは、「資金の調達を基軸として、非営利組織とその活動に共感を生む仕掛けを構築しつつ、統合的な組織運営を行うこと」に他ならないと理解している。
従って、「ファンドレイザー」とは・・・
・非営利活動の資金調達に関する専門知識を有し、それを実践する人であり、
・組織とその活動に共感が得られるように、組織づくり・組織運営に関わる人であり、
・そのための統合的な組織マネジメンを実践する人である。
一言で言えば、「共感マネジメント」をする人、だと思ってる。
・・・、はあ。
・・・、そんなスーパーマンみたいな人、居るのか、って話だけど。
・・・、そうならないと活動はきっと行き詰まるのだから、そうなるしかない訳で・・・。
こんな感じで、かなり堅苦しいスタートですが、よろしくお願い致します・・・。
【参考文献】
改訂版 ファンドレイジングが社会を変える (非営利の資金調達を成功させるための原則)
- 作者: 鵜尾雅隆
- 出版社/メーカー: 三一書房
- 発売日: 2014/08/12
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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2016年9月、図書館でたまたま見付けて手に取ったところ、当時のモヤモヤを解消する手立てが書かれていた。「衝撃」と言わざるを得ない、人生を変えて頂いた一冊。
NPOとは何なのか、素人の立場での質問が代弁されており、とても分かりやすい入門書。我らが 鵜尾雅隆氏 のインタビューも挿入されている。